1996年、あまりにも気に入ってしまったシャン州のナムサンには12泊もしていました。
これといった名所もないけれど、とにかく人があたたかくて、それが私には魅力的でした。
私は人々とコミュニケーションを取りながら写真を撮影するスタイル。
そんな私にとって、拒否されることなく、受け入れてもらえ、なんでも撮影できることはとてもありがたかったのでした。
25年ぶりに旅の日記を読み返してみると、残りのフィルムを気にしていること、ビルマ語ができないので言葉を勉強し、もっとみんなのことを理解したいと思っていることなどが綴られていました。
ミャンマーをライフワークに撮影するのなら言葉ができなければと、ナムサンで強く感じた私は、翌年の1997年から1年間、ヤンゴン外国語大学でビルマ語を学んだのでした。
![](https://myanmardays.com/wp-content/uploads/0039_hyodo.jpeg)
前回のブログにも書きましたが、ナムサンを離れる前日に撮影した4人の子どもたちの写真は自分にとって思い出深い一枚でお気に入りです。
2016年にナムサンが大火災に巻き込まれ、私がFacebookにこの4人の子どもたちの写真を投稿したことで、またナムサンの人たちと連絡がついたのでした。
彼女は男の子?
2016年の私はビルマ語を勉強した甲斐あって、もう以前とは違い、いろんな話を当時の子どもたちとすることができました。
一番はじめに私に連絡をしてきてくれた、左端の女の子とFacebookで友達になり、電話番号を交換しました。
さて、電話をする段になって、私は少しドキマギしていました。
なぜかというと、Facebookに投稿されている彼女自身の写真がすっかり男の子だったからです。
昔の面影は残っているけれど、雰囲気も服装もとってもボーイッシュ。
私の記憶違い?いやいや、女の子で間違いない。
Facebookにはゴージャスで美しい女性と撮った写真が何枚もアップされていました。
その女性はきっと恋人なのだろう。
男性になったのかな……。
ミャンマーでは「あなた」と呼ぶよりは、その人の名前を呼ぶか、または簡単に関係性で呼ぶことが多いのです。
例えば、自分より年上の女性なら、お姉さん、おばさん。
年下の女性には、妹さん、娘さんという感じです。
さて、私は彼女のことを「妹さん」と呼ぶべきか「弟さん」と呼ぶべきか?
ええい、名前を呼べばいいじゃない、と電話をかけたのでした。
そして、みなの近況やナムサンの被害状況を教わり、いろんなことが話せました。
思い切って「なんと呼ばれるのがいい?」と尋ねました。
「なんでもいいですよ、好きなように呼んでください。妹さんでも弟さんでも、かまわないですよ」
その方が余計に困るんだけどなぁ。
「Facebookに一緒に写っている女性は恋人?」
「そうですよ」
彼女はLGBTQであることを秘密にしていませんでした。
とてもオープン。
本当は詳しく尋ねたかったけれど、今はその時ではないと思え、深く聞くことは遠慮したのでした。
ミャンマーの腰巻布ロンジーについて
ビルマ族の正装といえば、ロンジーと呼ばれる筒状の腰巻布です。
ミャンマー全土で着られていて、標準服になっているといえます。
ところが男性と女性では巻き方が違います。
![](https://myanmardays.com/wp-content/uploads/0042_hyodo.jpg)
男性は余った左右の布を体の中央に持ってきて巻き、女性は左右どちらか一方に寄せて巻きます。
日本の着物だと、左右の合わせにきまりがありますが、ミャンマーの女性巻きはどちらでも構いません。
左右どちらが前になっても大丈夫、巻きやすい方でOKです。
そういったわけで、ミャンマーではロンジーを見れば男性か女性かわかる仕組みになっています。
4人の子どもたちも巻き方を見れば明らかなのです。
性別を聞かなくても、左から女の子、男の子、女の子、男の子とわかります。
左端の女の子、本当はロンジーを男巻きにしたかったのかな、そんなことを思ったりしました。
昔の写真を見返してみると
2020年、コロナが蔓延し、世界中がステイホームに。
そこで、昔、暗室でプリントしたモノクロ写真を整理することにしました。
![](https://myanmardays.com/wp-content/uploads/0040_hyodo_namhsan-e1633438918886.jpeg)
気に入っているだけあって、ナムサンで撮影した写真がたくさん出てきました。
4人の子どもたちが自分たちでだけでロンジーを着ようとしている写真などもみつかりました。
さらに、坂道では左端に立っていた女の子がロンジーを男巻きにしている写真もあるではありませんか。
![](https://myanmardays.com/wp-content/uploads/0042_hyodo.jpeg)
ネガフィルムを見直すと、坂道の中央に並ばせて撮影し、その後、階段に移動していました。
その時には男巻き(左から2番目)に変わっていたのでした。
ああ、この時からすでに彼女は男巻きにしたかったのだ……。
まだ4歳で幼かったけれど、ジェンダーの意識が芽生えていたんだね。
彼女はこのロンジー男巻き姿の写真をとても喜んでくれました。
彼女のジェンダーについて
2021年9月、子どもたち4人と連絡をとりました。
坂道で左端(階段では左から2番目)にいた女の子と話すのも久しぶり。
そこで、ジェンダーについても質問しました。
「小さい時からロンジーは男巻きにしたかったんだね、写真が証明していたね」と私。
「写真を撮ってもらった当時、男の子の服装にしたかったのかな、よく覚えていないなぁ」
「心は男性なの?女性なの?」
「自分のことは女性だと思っていて、男性になりたいわけではないんです。でも服装は男性っぽいのが着たい」
「じゃあ、トイレは女性トイレに入るの?」
「そう、女性トイレです」
「自分のことは私(ကျွန်မ チャマ)と言うの?それとも僕(ကျွန်တော် チェノー)っていうの?」
「それは、僕ですね。マンダレー地方あたりの人は女性でも僕っていうしね」
ヤンゴンなどでは、一人称は性別で言い方が違うのだけれど、マンダレーの方では男女とも同じで僕という。
その地方の方言というわけです。
だからヤンゴンで女性が自分のことを僕(ကျွန်တော် チェノー)と言っていたら、マンダレー出身なのかなと想像します。
「FBに一緒に映っている素敵な女性、恋人よね。恋愛対象が女性ってことだよね?それに気づいたのはいつ頃?」
「中学生の時」
「お母様にカミングアウトしたと思うんだけど、その時の反応はどうだった?」
「話した時、すでに母は知っていましたね」
「これまで嫌な思いしたことはない?」
「みんな、自分のことを受け止めてくれ、罪深いことと思われなかった。いじめられたり、嫌な思いをしたことがないんですよ。だから隠そうとは思わないです」
それはよかった。
「ところでロンジーなんだけど、中学生から制服はロンジーになるよね。どのように着ていたの?」
「女性巻きでした。マンダレーで大学通っている時も女性巻きでしたよ」
ちなみにミャンマーの学校の制服は、上が白色で下が緑色。
シャツやブラウスは白色ならばどんなデザインでもOK。
小学生の下は緑色のズボンかスカートです。
それはロンジーがまだうまく着こなせないから。
中・高校から下は緑色のロンジー着用という決まりがあります。
「ズボンばかりはいているみたいだけど、もし今ロンジーを着ることになったらどうする?」
「きっと男性巻きかな。でもそのような状況を避けるでしょうね。ロンジーを着る自信がない」
長い間、着ていないと上手く着こなせない人いるよね、よく外国人がロンジー脱げちゃったりしてるからかな。
「ロンジーが落ちそうで自信がないの?」
「違いますよ。ただ注目されたくないだけ」
あえて注目を浴びるようなことはしたくないってことだったのですね。
2016年、Facebookで繋がった時に載っていた恋人とは、5年経つ今もお付き合いをしていることがうかがい知れます。
パートナーがいて、うらやましいな。
「あなたのジェンダーのこと、ブログに書いてもいいかな?」
「隠していないから、書いてもらっていいですよ」
彼女の了承を得たことで、このブログを書きはじめました。
周りの人に受け止めてもらえ、嫌な思いをしたことがないと彼女はいうけれど、きっといろんなことがあったはず。
よき理解者に恵まれますように。
彼女が彼女らしく、自然体で生きていけますように。
いつの日か……
25年前のナムサンでの出会いが、私の人生を変えた理由のひとつともいえます。
当時ナムサンを訪れることは許されていたけれど、数年前から、ナムサン近くで武装勢力と国軍との戦闘が激化し、外国人の入域は禁じられるようになりました。
ナムサンを再訪できるのはいつになるだろう。
それどころか、今ではいつミャンマーに入国できるか分からなくなってしまいました。
まさかこんなことになるとは、誰が想像したでしょう。
坂道で右端に立っていた男の子から、
「平和になったらまたナムサンに来て、写真を撮ってください」
嬉しいメッセージが届きました。
ありがとう、今すぐにでも行きたいですよ。
「いつかまた、同じ場所で4人を撮影したいです」
そう私は返事を送りました。
大火災が起き、風景は一変しただろうけど、また4人をあの坂道で撮りたい。
みんながその時に着たい服装でね。
それが私の夢です。
楽平家サロンの延長のつもりで、田村さんに薦められて読み始めたけれど、今回は頭をガツンと叩かれた思いです。
「多様性」とかの抽象的な言い方でなく、こういう具体的なアプローチができるっていうのは実にいい。
コロナ下で巣ごもりしても、またミャンマーに行けなくても、ミャンマーの人々と歩みを共にできる、それが何ともすばらしい。
ミャンマーをライフワークに撮影しているのに「入国できなくなったらどうしよう」そんなことばかり心配していました。
コメントを読んで、気づかされ、そして勇気づけられました。
そうか、遠く離れていようが、こういう発信の形態もあるんだと。
これでいいんだ。
東山さんからのメッセージ、受け止めました。
ありがとうございます。