左から中国系の女の子、ネパール系の男の子、インド系の女の子、パラウン族の男の子。
何も考えず、かわいいから撮ったのだけれど、見返すとみんなの民族が違っていてなかなか良い写真。
自分で言うのもなんですが「多民族国家ミャンマー」が表せているなぁと、気に入っています。
この写真を撮影したのは1996年6月、シャン州北部の山間部に位置するナムサンという町。
パラウン族が多く暮らしており、お茶の産地として知られています。
ナムサンは紛争地域に近いこともあって、それまでは入域が許可されていませんでした。
情勢が安定したからなのでしょう、外国人も訪れることが可能になったのでした。
当時、ホテルやゲストハウスはなく、合法的に民家に泊まることになっていました。
私にすれば好都合、一般家庭にお邪魔させてもらえることほど楽しいことはありませんから。
そのお家には3人の子どもがいました。
読書好きでしっかり者の長女、やんちゃな男の子、おしゃまな末っ子の次女。
次女は写真の右から2番目に映っています。
宿の子どもと近所のお友だちとでピクニックに出かけたり、
学校を訪問させてもらいました。
結婚式に招待されれば出席し、僧院へ行っては少し覚えたビルマ語を交え、英語のできる僧侶と会話を楽しみました。
ここはお茶の産地なので、茶摘みを一緒にしたり、お茶の工場を見学させてもらったりもしました。
すべてが目新しく、写真を撮りまくっていました。
まだフィルムカメラの時代で白黒フィルムとリバーサルフィルムで撮影していた私は、残りのフィルムを心配するほどでした。
4人を撮影させてもらう
ナムサンを離れる前日、よく遊んだ4~5歳の子どもたちをメインストリートの坂道に並ばせ撮影することにしました。
大人みたいにカッコ良くロンジーと呼ばれる腰巻布を着こなしたいお年頃。
そこでお姉さんやお兄さんのロンジーを借りて着ることに。
けれど、まだ上手にひとりでは巻けなくて、大人に着せてもらいました。
お腹のあたりが膨らんでいるのは、お姉さんのロンジーの丈が長いため、たくし上げているからです。
かわいいロンジー姿の子どもたちの記念写真を撮ることができ大満足でナムサンを後にしたのでした。
パラウン族の女性が民族衣装で普段から暮らすナムサン。
あまりにもナムサンが気に入った私は2001年にも再訪したほどです。
残念ながら、宿の家族は大都市のマンダレーに引越していて会えなかったけど、ほとんどの人と再会を果たすことができました。
親切な人たちに出会ったところ。
観光名所はないけれど素敵な町。
ナムサンが大火災に
2016年2月4日、ナムサンが大火事に巻き込まれました。
原因は麻薬をやっていた男性の火の不始末から。
そして、200軒以上の家屋を焼失しました。
ナムサンは標高1500メートルほどの山間部に拓かれた町で、道が狭いため消防車1台しか入れなかったそうです。
さらに水も不足し、午後1時半頃に発生した火は、夜になってやっと鎮火。
4人の子どもたちを撮影した道の両側にあった木造家屋は全焼してしまったのでした。
高台にあったこの僧院は無事だったけれど、下の通りは全て焼失しました。
みんなつらい思いをしていることだろう。
家を失った人たちは僧院や学校で寝泊まりしていると報道されていました。
ヤンゴンにいた私は、ナムサンへの募金活動を見かけると、寄付するくらいしか出来ませんでした。
Facebookに投稿してみる
みんな大丈夫?どうしているかな。
そんなことを考えてはナムサンの日々を思い出していました。
そこでナムサンの人たちの無事と復興を祈り、Facebookに子どもたち4人の写真を掲載したのでした。
すると、写真の左端の女の子が私のことを見つけてくれました。
さらに彼女がみんなに連絡をしてくれ、幸いにも死者はなく全員が無事だと確認できました。
このようにして20年ぶりにFacebookというSNSのおかげで4人と繋がることができたのでした。
みんな私のことを覚えてくれていました。
ほんとかな? 嘘でも嬉しいなぁ、ありがとう。
今回の被害に心を痛めていること、心配していたことを伝えました。
彼女は左から2人目の男の子のお姉さんです。
家族で経営していたこの喫茶店も、他のみんなの家も火災で失ったそうです。
私を見つけてくれた左端の女の子はヤンゴン在住なので近日中に会おうねと約束をしたのに、いまだ会えぬまま。
いつでも会えると思うといけないですね。
ちなみに宿の長女と次女とは、2017年マンダレーで束の間ですが再会を喜びあいました。
25年後の4人はどうしているの?
2021年9月はじめ、オンラインのある集まりで4人の子どもの写真が話題にあがり、今、どうしているのか気になるという声が聞かれました。
私は政情不安を気にしすぎ、なるべく連絡を控えていたのですが、これは良い機会だと思いなおし、Facebookを介して連絡してみました。
みんな無事で元気だと確認し、ホッと一安心したのでした。
ここからは、29~30歳になった4人の現在をお伝えします。
1、左端の女の子、29歳、1992年生まれ
ヤンゴン在住、独身
IT関係の仕事をリモートでしている。
コロナの影響でITの仕事は忙しいそうです。
「リモートワークを理由に給料は半額になったけど、仕事を失う人が多い中、仕事にありつけるだけでありがたい。よく分からない中国製のワクチンは打ちたくないからコロナに感染しないよう気を付けている」という。
ナムサンの実家は再建せず、家族はマンダレーで暮らしているそう。
2、左から2人目(喫茶店の息子)、29歳、1992年生まれ
ナムサン在住、独身
旅客車のドライバーとなり、マンダレーとナムサン間を運転している。
コロナが蔓延し、今は休職中。
実家の喫茶店は他人に売り、別の場所で雑貨屋を営む両親と暮らしている。
家を新築するのに家族みんな苦労したという。
昔、喫茶店で出していたお菓子を今も早朝に作って売る副業を続けているそうだ。
家族全員、高熱を出して寝込んだけれど、今はみんな元気に回復。
3、右から2人目(宿の次女)、30歳、1991年生まれ
バゴー地方域・オー市在住、既婚
マンダレーでは家庭教師をしていたが、結婚後オー市に移り、2歳の女の子の母親に。
配偶者は携帯電話屋を経営。
家族全員コロナに感染したが無事にみんな回復したとのこと。
4、右端の男の子、29歳、1992年生まれ
ナムサン在住、独身
マンダレーで働いていたこともあるが、現在は実家の食材や日用品を売る商店を継いでいる。
親と同居。
海外へ出稼ぎに行く人が多く、若者が減っているが、彼は出稼ぎ経験なし。
コロナ感染について尋ねようとしたら、もうネットが繋がらなくなってしまい分からずじまい。
4人の民族について
文頭に書いた、子どもたちの民族について一部訂正しなければなりません。
今回、本人に確認を取ったところ、民族認識にズレがあることが分かったからです。
1、左端の女の子「中国系」
民族は「シャンタヨウッ」と教わっていました。
タヨウッが中国で、中国系シャン族という意味。
国民登録証(IDカード)の民族の欄は「シャン / パラウン」
これはイミグレーションが間違っているのだそうだ。
母親の国民登録証は「シャン」らしい。
あれっ、シャンタヨウッ(中国系シャン族)と記憶しているんだけど!?
中国系ではないの?と確認すると父親が中国系シャンだった。
記憶違いでないことに胸を撫で下ろしたのでした。
では、誰かに民族を尋ねられたら?と聞くと
「見た目が中国人っぽいから、みんな私のことを中国系だと思うみたい。
父親が中国系シャン族なんだけど、自分はシャン族と答えている」と言う。
これまで中国系と説明してきたけれど、本人がシャン族という認識なので改めなければいけない。
信仰は仏教。
2、左から2人目の男の子「ネパール系」
民族はゴーラカいわゆるグルカと教わるが、他民族の血も入っているのだと当時の私は理解していました。
国民登録証の民族の欄「ネパール / カチン+パラウン」
ゴーラカ(グルカ)ではなく、ネパールと書かれてあるそう。
父親がゴーラカ(グルカ)+カチン族で、母親はパラウン族。
民族を聞かれた場合「ゴーラカ(グルカ)パラウン族」と返答。
信仰は仏教。
3、右から2人目の女の子「インド系」
滞在時、父方のお祖母様が健在でご本人から「私はパラウン族、夫はインド人」と聞いていました。
国民登録証の民族の欄「インド / パラウン / シャン」
先にも述べましたが父親はインド+パラウン族で、母親がシャン系インドだからでしょう。
民族を聞かれた場合「シャン イスラム」と返答するそう。
インドという言い方はせず、イスラム教徒であることを伝えるそうです。
信仰はイスラム教。
4、右端の男の子「パラウン族」
パラウン族と教わったと記憶しています。
国民登録証の民族の欄「シャン」
パラウン族じゃなくて、シャン族なの?と確認すると、父親がシャン族、母親がシャン+パラウン族だった。
民族を聞かれた場合「シャン」と答えているそう。
彼のことをパラウン族とこれまで説明してきましたが、シャン族と訂正しなければ。
信仰は仏教。
・ ・ ・
当時、子どもたちに直接「なに民族?」と聞いたのではなく、周りにいた人に教わりました。
そして「左から中国系の女の子、ネパール系の男の子、インド系の女の子、パラウン族の男の子」と説明してきました。
これからは自称を尊重して「シャン族の女の子、ネパール系パラウン族の男の子、シャン系モスリムの女の子、シャン族の男の子」という方がいいでしょう。
今まで記憶を信じて疑わずにきましたが、改めようと思います。
いずれにしろ、民族がどうあれ、私にとってこの写真は思い出深く、大好きな一枚に変わりありません。
ミャンマーは多民族国家。
1983年の国勢調査で、135の民族が存在すると発表しました。
彼ら4人だけでも、いくつもの民族の血が混ざっていることがわかるでしょう。
そして、公的な国民登録証上の民族と本人の認識が異なっています。
今も昔も、ミャンマーはさまざまな問題を抱えていますが、そこには民族問題が複雑に絡まっています。
けれど、写真の子どもたちには民族の壁などなく、仲良く遊んでいました。
そんな子どもたちも、25年が経ち、立派な大人になっていました。
お話はまだ続きます。
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